目黒飴(長谷川雪旦画「江戸名所図会」 1893年 国立国会図書館蔵)

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05-01-02. 江戸の三富

資料ID187
名前(読み)エド ノ サントミ
名前(英語)Santomi(lottery) of Edo
テーマみどりの散歩道コース
コース05.不動コース
コンテンツ01.不動界隈の今昔
資料紹介江戸前期、寛永のころになると、社寺の復興費や修繕費を捻出する目的で、「富くじ」と呼ばれる宝くじが盛んになりました。文化9年(1812)に目黒不動と湯島天神の富くじ興行が許可されると、やがて谷中の感應寺などと並んで「江戸の三富」と呼ばれるほど盛んになりました。富くじの抽選は、目隠しした者が富箱の中の木札をキリで一枚突き刺し、これを立ち会いの役人に見せて、当たり番号を読み上げる方法で行われたそうです。しかし、赤字興行となる寺社が増えたことや、利権が複雑化したことなどにより、江戸幕府の天保の改革で全面禁止されました。
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コース紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=184
コンテンツ紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=185
関連人物名長谷川 雪旦

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