01-06-01. 御用屋敷と軍隊が駐屯した町
資料ID | 85 |
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名前(読み) | ゴヨウヤシキ ト グンタイ ガ チュウトン シタ マチ |
名前(英語) | A town with an imperial residence and military garrison |
テーマ | みどりの散歩道コース |
コース | 01.駒場コース |
コンテンツ | 06.〆切地蔵 |
資料紹介 | 八代将軍・徳川吉宗は鷹狩を好み、駒場野の御鷹場を管理するため、享保3年(1718)、今の大橋二丁目のあたりに御用屋敷を設けました。18ヘクタールもある御用屋敷には立派な御成門(オナリモン)や、将軍の休息所、鳥見役の家などがありました。鳥見役は御鷹場の見張りのほか、周辺の村々を探る任務も持っており、彼らが常駐する御用屋敷は、幕府の地域支配の拠点でもあったようです。また後の調査では、薬用の植物を栽培する御薬園や、空堀などが発見されています。 明治以降は富国強兵(フコクキョウヘイ)政策により陸軍の施設が次々とでき、終戦まではさながら軍都の感がありました。当時、この界隈(カイワイ)には、兵隊相手に水筒、靴、肩章などを売る「員数屋(インズウヤ)」と呼ばれる店が並びました。旧軍隊では、官給品を紛失したら厳罰(ゲンバツ)もの。そのため、兵隊たちは員数屋で失くした品物を買い求め、員数合わせをしたといいます。「員数屋」も戦後は古道具屋などに変わりましたが、道路拡張に伴う立ち退きで、やがて姿を消してしまいました。 |
データ利用条件 | 教育目的での使用については、権利所有者の許可は必要ありません。 |
コース紹介 | https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=61 |
コンテンツ紹介 | https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=84 |
徳川吉宗 |