茅葺き屋根だったかつての民家(平成5年ごろ)
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08-01-00. 農村だった衾村
資料ID | 267 |
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名前(読み) | ノウソン ダッタ フスマムラ |
名前(英語) | Fusuma-mura was once rural village |
テーマ | みどりの散歩道コース |
コース | 08.呑川・柿の木坂コース |
コンテンツ | 01.農村だった衾村 |
資料紹介 | 「衾」は、目黒の歴史を語るうえで欠かすことのできない地名の一つです。江戸時代の目黒が六か村(上目黒村、中目黒村、下目黒村、三田村、碑文谷村、衾村)に分かれていたころは、現在の環七通りの西南側全域が「衾村」でした。この村が開けた年代ははっきりしませんが、江戸時代に編(ア)まれた「新編武蔵風土記稿」によると、天正18年(1590)までは、世田谷吉良(キラ)氏の所領だった記録があります。また土地は起伏に富んでいて、水田より畑が多く、ここから江戸日本橋までは行程3里(約12キロメートル)ほどだったといいます。 実際、このあたりの地形は呑川の本流・支流にはさまれていて、かなり起伏があったのでしょう。江戸の近郊農村だった衾村の特産物は、大根、芋、筍(タケノコ)などでした。柿の木坂付近での東横線敷設の工事の際には、竹林を切り開いて行ったそうです。 |
データ利用条件 | 教育目的での使用については、権利所有者の許可は必要ありません。 |
コース紹介 | https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=322 |