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05-04-02. 昔ばなしの広場「甘藷先生」

資料ID197
名前(漢字)ムカシバナシ ノ ヒロバ「カンショ センセイ」
名前(英語)Mr. kansyo, a square for the folklore
テーマみどりの散歩道コース
コース05.不動コース
コンテンツ04.青木昆陽の墓
資料紹介「おーい。来てみな」
「何だかいい匂いがする」
「落葉の山の中から煙が出てる」
長州(チョウシュウ)からとりよせた百八十個ほどの種芋(タネイモ)から五千余の芋がとれ畑にびっしりならびました。しばらく天日にほして俵につめ、今日は試食の日です。
「おい、そんなところからのぞいてないで表門からはいって来い」
近くの子どもたちはお許しが出たので、あんちゃんを先頭にして養牛所(ヨウジョウジョ)の門から
入ってきました。
「おさむらいさん。なにかやいているかな?」
「ごはんこがした時のにおいに似てる」
長細い竹にさされてとり出されたいもを見せた青木文蔵は
「これはさつまの国へ唐(カラ)の方から渡って来たさつまいもだ」
「いも?」
「一つずつつかわすから食ってみてくれ」「あついよ。気をつけな」「灰をおとして皮をむいてな」
「うわーあつい!」
「うめえー」「甘いなあ」
「おさむらいさん、種分けて」
「来年の春苗を分けてあげよう」
「わーい」
そんな子どもたちの笑顔を眺めて文蔵は、「この子たちを飢えさせてはならぬ」と思いました。その後、幕張にひろい土地をいただき、近くの農家の人々を指導し、さつまいもづくりをしました。この地の人々はそのおかげで、天明の飢饉(キキン)をのりこえる事ができました。文蔵は青木昆陽と号し、儒学・蘭学の先生として世のためにつくしました。晩年目黒の里がとても気にいったので大聖院の裏山あたりに住み、自分で、「甘藷先生の墓」という墓碑(ボヒ)を書き、七十二歳で亡くなりました。
データ利用条件教育目的での使用については、権利所有者の許可は必要ありません。
コース紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=184
コンテンツ紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=195

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