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02-03-02. 昔ばなしの広場「芦毛塚」

資料ID100
名前(漢字)ムカシバナシ ノ ヒロバ「アシゲ ヅカ」
名前(英語)Ashigezuka(Mount), a square for the folklore
テーマみどりの散歩道コース
コース02.東山貝塚・蛇崩川コース
コンテンツ03.葦毛塚
資料紹介奥州の藤原氏の強大な財力と、名馬や兵団に恐れをなした頼朝は、義経(ヨシツネ)の件を理由に藤原氏を討つ事にしました。そして思いどおり泰衡(ヤスヒラ)を討ち果すと、戦いの後始末を重臣たちにまかせ、鎌倉への帰途につきました。兵も馬も長い軍旅で疲れていました。頼朝は愛馬「芦毛」に乗って黙々(モクモク)と歩を進めていました。鎌倉道を目黒あたりまでくると、どうした事でしょう、いつになく芦毛の歩みがおそいのです。頼朝は曇空の下、ゆっくりとすすむ馬上で弟を死に追いやったことや、泰衡が降参して来たのに斬(キ)ってしまった事など思い浮べ、「しかし源氏再興にはこれでよかったのだ」などと考えふけっていました。
「殿!殿!」
「何だ」
「芦毛の様子がおかしいとお思いになりませんか。黒毛(クロゲ)にお乗替えを」
「そうか。疲れたのだろう。水でも呑ませてやってくれ」
「かしこまりました」
折からの長雨で「大蛇が狂う」といわれる蛇崩川は増水し、渦を巻きつつ流れていました。洪水のたびにくずれるという崖にさしかかった時です。どうしたのかバランスをくずした芦毛は足をふみちがえて、あっという間に崖(ガケ)の土といっしょに川に落ちてしまいました。馬は流れの深みにはまって立ち上れません。数人の臣が、まわりみちをして河畔(カハン)におり、綱をなげたりして馬をはげましました。馬も岸へむかって進もうと必死の努力をしましたが「ヒヒ……ン」と一声、頼朝に別れをつげると川にのまれてしまいました。臣たちが「芦毛」「あしーげー」と呼びながらやっとの思いでひき上げました。が、もう息絶(イキタ)えていました。
「ていねいに埋(ウ)めてやってくれ」と頼朝は愛馬に別れを告げました。村人たちも手伝って塚ができ上りました。村人たちは花でかざり、村長が芦毛塚と書いた墓標(ボヒョウ)をたてた、ということです。
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コース紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=121
コンテンツ紹介https://jmapps.ne.jp/9093/det.html?data_id=98
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