
| 作家名(よみ) | がんく |
|---|---|
| 作家名(英語) | GANKU |
| 出身地 | 金沢市または富山市 |
| 没地 | 京都市 |
| 生年(西暦) | 1749/1756 |
| 生年(和暦) | 寛延2または宝暦6 |
| 没年(西暦) | 1838 |
| 没年(和暦) | 天保9 |
| 略歴・解説 | (寛延2年/1749又は宝暦6年/1756・金沢市又は富山市-天保9年/1838・京都市) 幼名乙次郎。岸派の創始者。安永9年に上洛したとされる。天明4年有栖川宮家御学問所の障壁画を制作。有楢川家に仕え雅楽助岸駒と号する。寛政元年御所造営にあたり障壁画を制作。4年皇后御殿造営にあたり須磨の障壁画を制作。文化6年金沢城二の丸御殿に障壁画を制作。13年仙洞御所修理にあたり《松に鶴図》を制作。文政4年《日蓮上人像》を妙覚寺と證光寺に納める。7年岩倉に隠居。修学院離宮御茶屋に《虎渓三笑図》を描く。天保8年越前守となる。 |