寛文十年頃尼崎城下絵図 寛文10年(1670)頃(加地泰雄氏文書) 上が北

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寛文十年頃尼崎城下絵図 寛文10年(1670)頃(加地泰雄氏文書)

大分類古文書・近現代文書類
中分類絵図類
小分類尼崎城下絵図
所蔵者個人蔵(尼崎市立歴史博物館寄託)
別名
数量1枚
時代/年代寛文10年(1670)頃
所在地尼崎市南城内10-2 尼崎市立歴史博物館あまがさきアーカイブズ
解説尼崎城と城下町を克明に描いた縮尺1200分の1の絵図で、尼崎城下絵図のなかで最も正確なものと考えられています。また、図の端に「尼崎 番町之所持」と記されていることから、町絵図として城下で持ち回りされ保存されてきたものと考えられます。築地町と出屋敷を除いて、書き込みがほとんど見られないことも、この絵図の特徴の一つです。
寛文4年(1664)に完成した築地町には、東西南北の距離や道の長さ、戎社(現在の初嶋大神宮)、網干し場、かつて町の南西隅に「エビス社」(西浜恵比須神社)があったことなどが記されています。築地町が造成される以前の砂州も一緒に描き込まれていることから、この絵図が作成された目的の一つは築地町完成の過程を示すことであったと考えられます。
出屋敷の箇所には、寛文9年5月1日に区画割を行ったこと、同月中旬から工事を行い同月中に完成したこと、尼崎藩青山家家臣印南惣兵衛・飯尾惣太夫が奉行を務めたことが記されています。また、閉鎖された城下の旧西門も描き込まれています。
一方、城郭内に赤色で描かれるいくつかの櫓は、寛文4年に新築、あるいは移築が許可された櫓であることから、城郭内の赤色の施設は同年以降に建てられたことを示しているとみられ、寛文4年以前の図に改修後の城郭の状況を書き加えていったものと考えられます。
尼崎城と城下町は、元和4年(1618)の築城開始以来、築地町を加えた尼崎八町の成立、出屋敷の建設と城郭改修を経て、約50年の歳月をかけて完成します。この図はそれらの過程を示し、完成を伝える記念すべき一枚といえます。
東西195.0cm、南北126.0cm(尼崎市指定文化財)

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