自画像
作者 | シーレ、エゴン |
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タイトル英文 | Self-Portrait |
作品サイズー縦 | 10.70 |
作品サイズー横 | 12.80 |
制作年 | 1914 |
技法 | ドライポイント |
材質 | 紙 |
山梨県立美術館 収蔵品データベース
作者名(ヨミ) | シーレ、エゴン |
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作者名(英語) | SCHIELE, Egon |
出身地 | オーストリア |
生年月日(西暦) | 1890 |
没年月日(西暦) | 1918 |
略歴・解説 | オーストリアのドナウ河畔の街トゥルンに生まれる。1906年、ウィーン美術アカデミーに入学する。授業には熱心に取り組むものの、次第に師であるグリーペンケールとの関係が悪化し、1909年にはアカデミーを退校してしまう。同年、仲間たちと「新芸術集団」を結成し、展覧会活動などを共にしていく。1913年、クリムトが会長を務めるオーストリア芸術家同盟の会員となり、その後ウィーン分離派展、ベルリン分離派展、ミュンヘン分離派展などに出品をするようになる。1915年、軍に召集され、軍役中に数多くのロシア兵たちのスケッチを残すなど不自由な環境のなかでも精力的に制作を続けた。1918年妻のエディットがスペイン風邪に冒され亡くなると、その後を追うようにシーレも同じ病で世を去った。人体表現に際だった才能を発揮し、人間の本質をえぐり出すような優れたその表現は、あまりに先鋭的なため猥褻なものと誤解されることも多かった。 |