死と乙女
作者 | コロー、ジャン=バティスト=カミーユ |
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タイトル英文 | Le jeune fille et la Mort |
作品サイズー縦 | 20.20 |
作品サイズー横 | 15.30 |
制作年 | 1854 |
技法 | ガラス版画 |
山梨県立美術館 収蔵品データベース
作者 | コロー、ジャン=バティスト=カミーユ |
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タイトル英文 | Le jeune fille et la Mort |
作品サイズー縦 | 20.20 |
作品サイズー横 | 15.30 |
制作年 | 1854 |
技法 | ガラス版画 |
作者名(ヨミ) | コロー、ジャン=バティスト=カミーユ |
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作者名(英語) | COROT, Jean-Baptist-Camille |
出身地 | フランス |
生年月日(西暦) | 1796 |
没年月日(西暦) | 1875 |
略歴・解説 | パリに生まれる。両親がラシャ商人であったため、1822年まで織物問屋に勤める。その後画家を志し風景画家ミシャロンに学ぶが、1824年のサロンで英国風景画に接し、さらに1825年に第一回目のイタリア旅行をしたことで、風景画家として大成し、大きな成功を収めた。バルビゾン、フォンテーヌブローの森をしばしば訪れては風景画を描き、またバルビゾンの画家達に経済的、精神的援助を惜しまなかった。1850年頃から銀灰色を主調とした詩情あふれる作品を描き始め、1864年には代表作となった≪モルトフォンテーヌの想い出≫を制作している。晩年には人物画をよく描き、中でも≪真珠の女≫(1870年)、≪青衣の婦人≫(1874年)は人物画としても優れた技量を持っていたことを示している。「20にも分けられる」(コロー)色価の理知的な秩序と構成、色面の調和によって影さえも色彩を放つ作風は印象派の画家にも大きな影響を与えている。1875年2月22日パリで没する。 |