駿州田中之城図
整理番号 | 401 |
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大分類 | 絵図 |
中分類 | 中部地方関連 |
法量(タテ) | 118.00 |
法量(ヨコ) | 59.00 |
摘要 | 奇妙な形の城絵図ですが、実在した城郭の絵図で、現在の静岡県藤枝市にありました。城郭がいつ築かれ始めたかは不明ですが、武田氏の駿河侵攻に伴って築城されたのがきっかけとされています。その後慶長6年(1601年)、徳川家の武将・酒井忠利が入場し、慶長14年(1609年)頃に近世城郭としての完成を見たようです。 近世の武士が学んだ軍学においては、過去の城郭プラン=「縄張り}の実例を学ぶことがよくありました。その中で、甲州流と呼ばれる軍学は、武田信玄の構想した軍学とされ、その中でこの田中城の縄張りを学ぶことがしばしばあったようです。そのため、臼杵のみならず、加賀前田家に伝来する城絵図等、田中城絵図の類例が見受けられます。 臼杵の絵図は、城域の形状及び記載内容に正保城絵図との共通性が見いだせます。縮尺は「八厘一間」で描かれたようです。西方の城下町は離れており、図中に描ききれなかったと推定されますが、これは他の田中城絵図と違い、実測の成果を重視した書き方だったための結果とも考えられます。 |