収蔵 №30005

アオギス網

資料名(ヨミ)アオギスアミ
地方名アオギスアミ
収蔵番号030005
使用地浦安 堀江
公開解説 平成29年(2017)、漁村文化研究会から寄贈いただいた資料。田中久松氏より寄贈を受けたもの。アオギスを捕る刺網(底刺網)。刺網の中では最も丈(高さ)が短い網。メカズは鯨尺1尺に23結節。
 浦安でアオギスは脚立釣りなどの遊漁だけでなく、生業としての漁業の対象魚でもあった。特に戦前はシロギスよりもアオギスの方が価値が高く、東京の高級料亭などに卸されたとされる。捕獲されたアオギスは刺身や塩焼き、吸い物などの食材になった。普通、東京内湾のキス網というとシロギス網が主流であるが、浦安ではアオギス網が主流であったとされる。
 アオギス網の目は鯨尺(主に布の長さを測るときに用いるものさし、1尺が約38㎝)1尺の中にいくつあるかで数える。アオギス網の場合、目は26~28である。浦安のシロギス網の場合、鯨尺1尺に目が26~28あるが、アオギスのうち、大きいデエコギス(ダイコンギス)を狙う場合、16~17目のものを使うことがあった。丈(網の高さ)は浦安の刺網の中で最も短く、アオギス網で1尺(約30㎝)、シロギス網で1尺5寸(約45㎝)ぐらいであった。ダイコンギスは子を持ったメスで、非常に大きいものであった。ダイコンギスは沖へ出ていくので「デギス」とも呼ばれ、デギスは真夏に狙った。
 漁は干潮時に行い、土手際、ヨシの生えているぎりぎりのところでも行った。ソコリ(最干潮)の2時間ぐらい前から開始し、ソコリで魚が集まったところに網をしかけて捕る。潮が速いとだめな漁で、大潮では潮が止まった頃がよいが、その時間が短い。小潮だとあまり水が動かないのでよかったという。通常は昼間に行い、戻りが夕方4~5時頃であった。船橋ではマズミ(日暮れ時)だけに行ったという。
 1艘で行うこともあれば、3~5艘、組になって行うこともあった。網を張った後は、船の板子をトントンと叩いてアオギスを脅かして網へ追い込んだ。舟には普通、2人で乗り込み、一人が網を入れたり出したりし、もう一人が舵で舟を操作するカジコで、板子を叩くのはカジコの役割であった。
 小網師(刺網専業の漁師)であった堀江のk氏は戦後、若者でバンド活動が盛んになったとき、TD楽団というものを組んでいた。漁師の中でもバンド活動が流行った時期があったという。k氏の舟はバンド活動をしている者が乗り込み、アオギス網で魚を追い込むために板子を叩くのを、いかにもドラムを叩くように、練習をしている感じで叩いていたという。一緒に船団を組んで行っていた漁師は、この音を聞いて「さすがTD楽団の舟だえ~。おらー、あんな調子をとった叩き方はできなかったよ~」とのこと。
 アオギス網の手入れとして、普通、刺網は薄めのカシャギ(カッチとも言う)で染めたが、アオギス網だけは柿渋で染めた。柿渋で染めると、網がパリパリ、さらさらして、アオギスの掛り具合が全然違ったという。柿渋は瀬戸物でできた樽に入っており、1本ずつ購入した。
使用年代昭和30年代まで
キーワードアオギス、青鱚、青ギス、青ぎす、刺網、小網、サシアミ、刺し網

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