孝順子様肖像(昭訓)  餘四麻呂

資料分類写真
作品解説9代徳川齊昭の24子の昭訓(1848-1864)。生母は萬里小路建房の女・睦子(秋庭夫人)、号は環山。文久3年(1863)3月、兄である10代慶篤に従って京に上り、そのまま禁裏守衛の任にあたるが病に倒れた。慶篤・慶喜の弟として将来を望まれていたが、元治元年(1864)激動の京都で亡くなった。弱冠17歳であった。

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