菊池寛胸像

菊池寛銅像(胸像)

大分類美術工芸
作者新田藤太郎
解説この作品は、現在、高松市中央公園にある菊池寛銅像の原型となった胸像です。作者の彫刻家・新田藤太郎は、明治21年に現在の三豊市詫間町に生まれました。新田は当初、菊池寛像を胸像として試作していましたが、当時の高松市長・国東照太が立像を主張し、完成形は現在の姿に落ち着きました。昭和31年10月の除幕式には、吉川英治や中河与一、当時の大映社長・永田雅一など、大勢がかけつけました。
菊池寛のトレードマークともいえる眼鏡をつけていないのは、屋外に設置した際、子どもに眼鏡を取られてはいけないとの考えからです。そのぶん顔の凹凸の肉付けで、菊池寛らしい表情が表わされています。
中央公園の立像は、台石も重量感を出すべく野面で横広いものにし、正面の姓名文字は菊池寛の自書を拡大して、黒花崗岩に彫り出しています。

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