池田冠山墓
池田冠山墓
西暦年(世紀)・月・日 | 1833年12月 |
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元号年(時代)・月・日 | 天保4年12月 |
登録・指定 | 登録文化財 |
種別 | 史跡 |
ふりがな | いけだかんざんはか |
員数 | 1基 |
寸法 | 総高 164.0㎝ 墓石幅 56.0㎝ 墓石奥 46.0㎝ |
資料所在地 | 向島5-3-2 弘福寺 |
解説 | 弘福寺の境内右手奥に設けられた区画内の台座上に亀趺(きふ、墓石の台石として亀の形を彫刻したもの)が置かれ、その上に角柱状の墓碑が建てられています。 池田冠山(1767~1833)は、因幡国(いなばのくに)若桜(わかさ)藩主を務めた人物です。幕府の旗本の第二子として誕生しますが、若桜藩主の養子となり、藩主となりました。学問に優れて、佐藤一斎に師事、古今和漢の書・地誌仏典にいたるまで精通し、諸芸にも優れました。著書は210巻に上り、代表作に『浅草寺誌』があります。 |