初代歌川豊国筆塚(断片)

初代歌川豊国筆塚(断片)

西暦年(世紀)・月・日1828年9月
元号年(時代)・月・日文政11年9月
登録・指定登録文化財
種別有形文化財(歴史資料)
ふりがなしょだいうたがわとよくにふでづか(だんぺん)
員数1基
所蔵者宗教法人 法性寺
資料所在地業平5-7-7 法性寺
解説 本碑は浮世絵師初代歌川豊国の三回忌を経て、撰文を狂歌堂真顔、書と篆額は山東京山、碑刻は窪世祥が受け持ち、門人たちや地本屋仲間、団扇屋仲間が建碑しました。碑文には、豊国の父五郎兵衛の功績から始まり豊国の画業と歌川派の繁栄を顕彰し、没後から建碑までの経緯が記されています。その内容から、初代豊国の伝記を知る基本資料とみなされています。
 初代歌川豊国は、明和6年(1769)に芝神明前の人形作り倉橋五郎兵衛を父に生まれました。14、5歳で豊春の門人となり、天明6年(1786)頃から作品がみられます。画号は一陽斎で、役者絵と美人画で新境地を開き、歌川派を浮世絵界最大の勢力に成長させる基礎を作りました。文政8年(1825)に没し、三田の功運寺(現在は中野区に移転)に葬られました。
 本碑は関東大震災で破損し地中に埋まっていましたが、戦後に一部が発見され、昭和55年(1980)頃に境内に整備されました。

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