秋葉神社の石造燈籠 寛保元年銘

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秋葉神社の石造燈籠

西暦年(世紀)・月・日1704年、1705年、1741年
元号年(時代)・月・日宝永元年5月、同2年、寛保元年5月
登録・指定登録文化財
種別有形文化財(歴史資料)
ふりがなあきばじんじゃのせきぞうとうろう
員数6基
所蔵者宗教法人 秋葉神社
資料所在地向島4-9-13 秋葉神社
解説 秋葉神社は正応年間(1288~93)の創建と伝わる古い神社です。江戸時代は火伏せの神として諸大名から信仰を集めました。参道を挟み境内7基の燈籠があり、うち6基が登録文化財となっています。現在、灯籠の配置は必ずしも対をなしてはいませんが、『葛西志』によれば、かつては社前に対で並んでいたことが分かります。現在の燈籠各部は不自然な状態が見受けられ、災害復興で復元された折に齟齬が生じた可能性があります。
 宝永元年(1704)5月銘の2基は、総高230cm、竿をふくらませ、安定を保った造形で、上州沼田藩主本多正永(まさなが)が奉納しました。本多正永は、宝永元年9月に老中職に任じられており、この一対は老中就任直前に奉納されたことが分かります。
 宝永2年(1705)銘の2基の燈籠は、前橋藩主酒井忠挙(ただたか)が奉納したものです。1基は伊奈忠宥(ただおき)寄進の宝暦8年(1758)銘の燈籠(非登録)と対となるように並び、いま1基は離れて狛犬の隣に立ちます。当初は対に建っていたと考えられます。忠挙は秋葉神社を深く信仰し、社殿修理などに尽くした大名で、奏者番兼寺社奉行などを務めました。燈籠はいずれも銘文が磨滅しており、火袋と宝珠に後補が認められます。
 寛保元年(1741)5月銘の2基は、忠挙の娘頼子が奉納したものです。頼子は柳沢吉保の嫡子・吉里に嫁ぎましたが、吉里の家督継承後、藩は甲府から郡山へ移封され財政窮乏となり、藩政運営に困難を強いられました。銘文は鮮明ですが、一部に破損がみられ、基礎の一部に焼け焦げた痕跡が認められます。

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