石造「夜寉井銘」の碑

石造「夜寉井銘」の碑

西暦年(世紀)・月・日1859年以降
元号年(時代)・月・日安政6年以降
登録・指定登録文化財
種別有形文化財(歴史資料)
ふりがなせきぞう「やかくいめい」のひ
員数1基
所蔵者宗教法人 妙縁寺
資料所在地吾妻橋2-2-10 妙縁寺 
解説 本碑は、江戸時代に本所の名水といわれた井戸「夜寉井」の側に建てられていた石碑です。碑は自然石の台石の上に固定され、碑面上部には「夜寉井」の篆額、その下に銘文(賛)と年紀、撰者の名が刻まれています。
 賛は宝暦2年(1752)の撰で、撰者の蘭台道熙(らんだいみちひろ、井上蘭台(いのうえらんだい))は、儒学者として折衷学派のさきがけとなった人物です。内容は詩経の一説からなり、「風雨が夕方のような暗さの中に、鶴が幼い子を失った。その子が気がかりで休むこともできず、子のあの世での様を思い浮かべていると、鶴は野に声を聞いたので、わずかな子の声を求めて寒泉の下にやってきた。その水は現在もあり、清らかに澄み深い味わいである。自ら憂いを残しつつ、わが心を労る。」というものです。
 碑の建立は宝暦12年(1762)、京の書家朗川勝包貫の書によるとの記録が残されています。夜寉井は安政2年(1855)の大地震で一旦塞がれ、安政6年(1859)に日英により復興されますが、関東大震災で再び埋まってしまいました。本碑には碑建立と日英による井戸復興が刻まれ、石碑右側面には、年紀が削られていますが「再建立 東屋源助」と刻まれています。これらのことから、現在の石碑は安政6年以降に建て直されたことがわかります。
 清水を得るのが難しかった本所地域に、かつて名水があった証明といえる石碑です。

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