山玉向嶋講社の碑
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山玉向嶋講社の碑
西暦年(世紀)・月・日 | 1898年 |
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元号年(時代)・月・日 | 明治31年 |
登録・指定 | 登録文化財 |
種別 | 有形民俗文化財 |
ふりがな | やまたまむこうじまこうしゃのひ |
員数 | 1基 |
寸法 | 総高 125.5cm 総幅 92.5cm 厚 10.0cm |
所蔵者 | 宗教法人 高木神社 |
資料所在地 | 押上2-37-9 高木神社 |
解説 | この石碑は、室町時代に開かれたという旧寺島村新田の鎮守高木神社境内にあります。山玉向嶋講社とは、富士山を信仰する人々の集団である富士講の一つで、向島地域を拠点に活動しました。明治8年(1875)頃には既に存在し、大正期には100名以上の構成員を擁(よう)していました。 石碑の正面中央には講印が彫られ、裏面には大先達町田治助(正面左に見える「一治山政行」の実名)と世話人たちの名前が居住地別に刻まれています。その中には有名な碑銘彫刻師の宮亀年(みやきねん、三代本宮為吉)の名もみえます。石碑に名を連ねた人々は、調査により「石造墨堤永代常夜燈」(区指定文化財)の奉納など、地域をあげての協賛事業に関与していた人々であることが分かっています。 |