堀江友聲

ArtistHORIE Yusei
生年享和2年
Birth1802
没年明治6年
Died1873

略歴

出雲国大東(現在の雲南市大東町)に森山勇兵衛為春の第四子として生まれ、後に母方の堀江家を継ぐ。幼名は善三郎豊信、青年期に雲峯・盛伯と号し、京都で海北家の養子となった折に名を海北斎宮介精一、字を友聲とした。ほかに斧巖・豈楽斎・遷喬などと号す。幼少より絵を描くことを好み、文化14年(1817)に京都で山本探淵に師事。また四条派の柴田義董に私淑した。20代で伯耆、備後、美濃など諸国を遊歴し、萩の毛利家で多くの作品を描く。天保元年(1830)、海北友徳の懇請を受けて海北家の養子となり、宮中・社寺の御用を勤めるが、翌年、養子縁組を解消され、出雲へ帰国した。天保7年(1836)からの数年を丹後国宮津で過ごし、宮津藩お抱えの話が挙がるほど当地で高い評価を得ている。嘉永5年(1852)に広瀬藩九代藩主・松平直諒の下で御用絵師となり、以降は広瀬を中心に活動した。友聲は幕末出雲における数少ない職業画家であり、多彩な技法・筆法を駆使して多種多様な画題を手がけた。中でも膨大な数の写生を基にした、緻密な描写と鮮麗な色彩による花鳥画が名高い。横山雲南(後の黄仲祥)・上代英彦ら多くの門人を指導し、堀江家からは養子の友節(二代)以降も有聲(三代)・和聲(四代)と画家を輩出した。
読み方:探淵=たんえん/義董=ぎとう/海北友松=かいほうゆうしょう/直諒=なおあき

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