明治末頃恵比寿ビール工場正門

地域恵比寿
テーマ商・工・農業
年代明治
お問合せ番号DP2_007
解説明治22年(1889)に、現在の目黒区三田一丁目に日本麦酒醸造(のちの大日本麦酒、現サッポロビール)が工場を建設し、「恵比寿ビール」の名称でビールを販売しました。その後、工場の敷地が現在の渋谷区域まで広がります。東京市内への出荷のため、工場の門から現在の明治通りまで、専用道路や橋が作られました。昭和63年(1988)に工場は閉鎖され、跡地は恵比寿ガーデンプレイスとして生まれ変わりました。

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