中村芳中

作家名(ヨミ)なかむら ほうちゅう
作家名(英語)NAKAMURA, Hochu
生年不詳
生年(和暦)不詳
没年1819
没年(和暦)文政2

略歴・解説

京都に生まれ、のち大坂に住み活躍した。名は徳哉、字は芳中(鳳冲、方中等)、号は「温知堂」「擔板漢」「達々」。寛政年間(1789–1801)には木村蒹葭堂、十時梅厓らと親交し山水画等を描いた。1799年(寛政11)に江戸下向を果たし、1802年(享和2)に刊行した色刷絵本『光琳画譜』を契機に「光琳風」と評された。たらし込みを多用した着色の草花画が知られる。俳諧を好み、俳画や拝書の挿絵、略画的な人物や動物など軽妙な作風をみせた。

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