略歴・解説 | 大阪市東区北久太郎町(現・中央区)で三露商店(現・三露産業)を営む三露家の長女として生まれる。本名はハナ、通称花子。母は三露千萩(昌園)。現在の大阪府高石市羽衣に居住した。1918年(大正7)頃より、母とともに庭山耕園塾に通い、花鳥画を学ぶ。同じ頃、木谷千種にも師事し、母と九歳下の妹と画塾に通った。1926年(大正15)、キリスト教に入信し、大阪市東区神崎町(現・中央区)の基督信徒集会所や、粉浜(現・住之江区)の教会に通う。病に倒れ、改元直後の1926年(昭和元)12月28日、22歳で死去。葬儀はキリスト教式で執り行われた。1927年(昭和2)4月、浜寺公会堂で千鈴を追悼する集会が牧師浅田又三郎の主宰で開かれ、同年7月に記念誌『移されし花』刊行。1927年(昭和2)2月、八千草会同人の原田千里、狩野千彩、石田千春、澤田千尋、豊田千代美の五名による八千草会同人展が心斎橋十合で開催され、千鈴の遺作も出品。同年、第2回八千草会展では《化粧》(No.3823)が展示された。
【主な出品歴】
1922年、第3回女流展に《ほほづき》、同4回展《上方唄》
1923年、日本美術展覧会に《母になるまで》(久邇宮家に献上)
1923年、第2回白耀社展に《コドモノクニ》、同三回展《栄光の日》
1925年、第2回大阪市美術協会展に《ふところ児》、同3回展《秋の一日》
1926年、第1回八千草会展に《母子》《アマリリス》《静思》《殉教者の娘》《露》
1926年、革新第4回日本画会展覧会に《静思》 |