略歴・解説 | 1906年(明治39)12月14日広島市に生まれる。1924年(大正13)大阪へ出て小出楢重に入門。赤松麟作画塾へも通ったが、小出の信濃橋洋画研究所開設(同1924年)とともに同研究所へ移った。1927年(昭和2)第14回二科展に「樹間展望」で初入選。以後同展へ出品を続け、第20回展「夏の日」が特待を受け、1935年(昭和10)二科会会友となる。1941年(昭和16)第28回展に「人々」を出品し、二科会会員に推挙された。この間、1938年(昭和13)には第5回佐分賞を受賞。小出楢重の没後、中之島洋画研究所(1931年、信濃橋作画研究所から改称)で教えたのをはじめ、大阪市立美術研究所などの講師をつとめた。
戦後も二科会会員として活躍し、1950年(昭和25)第35回二科展に《二科三十五人衆》を出品、会員努力賞を受け、1965年(昭和40)第50回展には《好評と云う名の看板》で第1回青児賞を受賞した。1961年(昭和36)二科会理事に、1983年(昭和58)社団法人二科会常務理事にそれぞれ就任する。
1964年(昭和39)に大阪芸術大学教授となり後進の指導にあたり、美術学科長などをつとめ、1988年(昭和63)退職、翌年同大学名誉教授の称号を得た。
1974 年(昭和49)大阪芸術賞を受賞。1988年(昭和63)大阪芸術大学塚本記念館・芸術情報センター展示ホールで「松井正画業70年記念展」を開催、二科展出品作を中心に49点が展示された。1993年(平成5)10月25日、兵庫県西宮市で逝去。
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