淀君(大下絵)
作者 | 北野恒富 KITANO, Tsunetomi 1880 1947 |
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作家名(読み) | きたの つねとみ |
制作年 | 1920年(大正9)頃 |
技法・材質 | 紙,木炭・墨画着色 額装 |
員数・形状 | 額 |
寸法 | 204.0×85.0cm |
作品番号 | 002596-003 |
ジャンル分類1 | 美術 |
ジャンル分類2 | 日本画 |
作者 | 北野恒富 KITANO, Tsunetomi 1880 1947 |
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作家名(読み) | きたの つねとみ |
制作年 | 1920年(大正9)頃 |
技法・材質 | 紙,木炭・墨画着色 額装 |
員数・形状 | 額 |
寸法 | 204.0×85.0cm |
作品番号 | 002596-003 |
ジャンル分類1 | 美術 |
ジャンル分類2 | 日本画 |
作家名(ヨミ) | きたの つねとみ |
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作家名(英語) | KITANO, Tsunetomi |
生年 | 1880 |
生年(和暦) | 明治13 |
没年 | 1947 |
没年(和暦) | 昭和22 |
略歴・解説 | 石川県金沢市に生れる。本名富太郎。小学校卒業後、木版の版下彫刻に従事し、余暇に南画を習う。地元の北國新聞社に勤めながら新聞挿絵を研究する。1897年(明治30)画家を志して大阪に移り、翌年挿絵画家の稲野年恒に師事。1899年(明治32)より新聞小説の挿絵を担当。1910年(明治43)第4回文展に《すだく虫》が初入選する。翌年、土田麦僊らの仮面会に参加。1912年(大正元)野田九浦らと大正美術会を結成する。 1914年(大正3)画塾白耀社を設立し後進の指導にも力を入れ始める。同年再興第1回院展に《願いの糸》を出品する。1917年(大正6)日本美術院同人となる。1918年(大正7)には水田竹圃らと大阪茶話会を設立した。髙島屋や菊正宗などのポスター原画にも従事。明治末から大正にかけては、デカダン的で濃厚な美人画を描いたが、その後次第に清澄な画風に転じ、情感豊かな美人画を残した。大阪画壇の中心的存在として活躍した。 |