略歴・解説 | 1912年(明治45)東京都多摩郡大久保村に陸軍将校の父(鋭)、母(とみ)の間に次男として生まれる。1929年(昭和4)東京高等工芸学校木材工芸科に入学し、1932年(昭和7)同校卒業後、同年念願の商工省工芸指導所(仙台)に入所する。1933年(昭和8)に来日したブルーノ・タウトと会い薫陶を受け、その影響でドイツ工作連盟のヘルマン・ムテジウスに傾倒する。1955年(昭和30)産業工芸試験所を退職し、翌1956年(昭和31)剣持勇デザイン研究所、リビングアート設立。1960年(昭和35)ホテルニュージャパンのメインバー内装及び家具デザインを行う。日本人によるデザイン作品として初めてMoMAに収蔵されたラタン製アームレスチェア《丸椅子C-315-O》(1959年|昭和34)をはじめ、丹下健三建築内の家具や日航機ファーストクラスの内装、大阪万博公園の野外ベンチ、ジョアやヤクルトの現行のパッケージデザイン(フォルム)でも知られる。柳宗理、渡辺力、長大作らと並ぶ「ジャパニーズ・モダン」を代表する家具デザイナー、インダストリアルデザイナー。1971年(昭和46)自殺と推定される状況により没。 |