浅春
作者 | 原田千里 HARADA, Chisato 1905 1993 |
---|---|
作家名(読み) | はらだ ちさと |
制作年 | 大正後期–昭和初期 |
技法・材質 | 絹本着色 |
員数・形状 | 軸 |
寸法 | 131.5×27.5cm |
作品番号 | 003451 |
ジャンル分類1 | 美術 |
ジャンル分類2 | 日本画 |
作者 | 原田千里 HARADA, Chisato 1905 1993 |
---|---|
作家名(読み) | はらだ ちさと |
制作年 | 大正後期–昭和初期 |
技法・材質 | 絹本着色 |
員数・形状 | 軸 |
寸法 | 131.5×27.5cm |
作品番号 | 003451 |
ジャンル分類1 | 美術 |
ジャンル分類2 | 日本画 |
作家名(ヨミ) | はらだ ちさと |
---|---|
作家名(英語) | HARADA, Chisato |
作家名(別名) | 原田 美智恵 |
生年 | 1905 |
生年(和暦) | 明治38 |
没年 | 1993 |
没年(和暦) | 平成5 |
略歴・解説 | 1905年(明治38)、大阪市南区難波新川(現・浪速区難波)に生まれる。本名美知惠。はじめ千里、後に美智恵と号する。新川高等小学校を卒業後、木谷千種に日本画を学び、八千草会研究所では塾頭的な役割を担う。1922年(大正11)第4回帝展で《由良の湊》で初入選し、1925年(大正14)第6回帝展でも《花臙脂》が入選。やがて土田麦僊の山南塾に移るが、1932年(昭和7)に麦僊が没した後は、郷倉千靱門下生となり院展に転じる。安田靫彦と、晩年は小倉遊亀にも師事した。1936年(昭和11)再興第23回院展に原田美智恵の名で《明菜》が初入選。その後も院展で制作発表を行い、1981年(昭和56)、特待に推挙される。1985(昭和60)年の再興第70回院展まで出品を続けた。作風において、初期は子どもたちを主題に初々しく個性的な美人画風の人物画を制作したが、院展では、日本女性が芸事や家事に勤しむ姿を、簡明な筆致と明るい色彩を用いて理想的に描いた。 1955年(昭和30)頃まで豊中市に居住したが、その後は大阪を離れて鎌倉市を拠点とし、画家として生涯を貫いた。1993年(平成5)、88歳にて死去。 |