榊原紫峰 《冬朝》 (部分:右隻)
冬朝
作者 | 榊原紫峰 SAKAKIBARA, Shiho 1887 1971 |
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作家名(読み) | さかきばら しほう |
制作年 | 1928年(昭和3) |
技法・材質 | 絹本着色 |
員数・形状 | 二曲一双屏風 |
寸法 | 各173.4×273.6cm |
作品番号 | 002158 |
ジャンル分類1 | 美術 |
ジャンル分類2 | 日本画 |
榊原紫峰 《冬朝》 (部分:右隻)
作者 | 榊原紫峰 SAKAKIBARA, Shiho 1887 1971 |
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作家名(読み) | さかきばら しほう |
制作年 | 1928年(昭和3) |
技法・材質 | 絹本着色 |
員数・形状 | 二曲一双屏風 |
寸法 | 各173.4×273.6cm |
作品番号 | 002158 |
ジャンル分類1 | 美術 |
ジャンル分類2 | 日本画 |
作家名(ヨミ) | さかきばら しほう |
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作家名(英語) | SAKAKIBARA, Shiho |
生年 | 1887 |
生年(和暦) | 明治20 |
没年 | 1971 |
没年(和暦) | 昭和46 |
略歴・解説 | 1887年(明治20)現在の京都市に生まれる。本名安造。父榊原蘆江、兄榊原佳山、弟の榊原苔山、始更、弘はいずれも日本画家。1907年(明治40)京都市立美術工芸学校絵画科を卒業。1909年(明治42)京都市立絵画専門学校に編入、1913年(大正2)研究科を修了。在学中の1909年(明治42)第3回文展に《動物園の猿》で初入選、その後も文展で入選や受賞を重ねる一方、1914年(大正3)第8回展と1916年(大正5)10回展では落選。1918年(大正7)土田麦僊、村上華岳らとともに国画創作協会を設立、その定期展を発表の場とする。1928年(昭和3)国画創作協会解散後は官展不出品を通し、画壇から離れる。1937年(昭和12)より母校の市立絵画専門学校教授となり、戦後まで後進を育成。1971年(昭和46)京都市にて83歳で没す。 |