略歴・解説 | 1939年(昭和14)、神戸生まれ。1962年(昭和37)、京都市立美術大学西洋画科卒業。1973年(昭和48)頃から1980年(昭和55)頃には、ゼログラフィー(青焼き写真)と呼ばれる電子複写技術を使用した作品を制作。図形を描いた紙を折ったり歪ませたりして変形させたものを撮影し、その上にさらに同じ線や円の平面的な図像を描いた作品群で知られる。早くから河口龍夫、奥田善巳らによるグループ《位》や、植松奎二などと交友があり、70年代の観念的な写真作品の系譜として評価される。その後、1982年(昭和57)から完全に油彩作品の制作に移った。絵の具を塗った後に布で拭き取る工程により、線、面、色、パース、描く、塗るといった絵画を構成する諸概念をすべて画面内で等値化することをコンセプトに掲げ、晩年まで制作を続けた。1990年(平成2)、がんを告知され、94年(平成6)までロサンゼルスへ度々治療に通いながら、現地でも制作を行った。94年(平成6)死去。
1977年(昭和52)、《77-D》により兵庫県立美術館賞を受賞。70年代から京都ではギャラリー16、東京では村松画廊で80年代まで個展を開催した。主なグループ展として「京都アンデパンダン展」(1963年から1985年まで出品)、「現代美術における写真展-70年代の美術を中心にして-」東京国立近代美術館・京都国立近代美術館(1983年)などがある。
主なパブリックコレクションに京都市美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館、大阪中之島美術館、兵庫県立美術館、伊丹市立美術館、和歌山県立近代美術館、名古屋市美術館、静岡県立美術館、東京国立近代美術館などがある。 |