金谷 朱尾子

作家情報名(ヨミ)かなたに におこ
作家情報名(英語)KANATANI Nioko
生年月日(西暦)1953
生年月日(和暦)昭和28年
没年月日(西暦)2004
没年月日(和暦)平成16年

略歴・解説

岡山市生まれ。本名、薫子(におこ)。父は彫刻家の金谷哲郎。岡山県立岡山朝日高等学校へ進学後、昭和47(1972)年京都市立芸術大学に入学。卒業後は岡山へ戻り、日展に初入選する。特別の師を持たない朱尾子は周囲の勧めもあり、日展の重鎮・池田遙邨の画塾「青塔会」に入る。若干28歳にして日展出品作《塔と人とうつろいと》が特選となる。翌年、岡山大学教育学部の非常勤講師に着任。指導の傍ら日展や女流画家展に出品を重ねる。青塔社を退会してからも、徐々に女流画家としての地位を確立していった。この後、的確な人物デッサンから描かれる女性像は甘美な妖しさをともなうようになる。さらに昭和60年代に入ると描かれた対象の強さが強調され、画面に一層の迫力をもたらされる。自らの表現を模索するさなか、平成9(1997)年癌を発病。51歳の若さで生涯を閉じる。

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