淵上 旭江

作家情報名(ヨミ)ふちがみ きょっこう
作家情報名(英語)FUCHIGAMI Kyokkō
生年月日(西暦)1753
生年月日(和暦)宝暦3年
没年月日(西暦)1816
没年月日(和暦)文化13年

略歴・解説

備前国児島郡上山坂村(現玉野市上山坂)の農家に生まれ、まもなく一家で同郡宮浦(現岡山市宮浦)に移る。名は禎、字は白亀、号は曲江のち旭江。備前・備中へ来訪した京都の大西酔月に画法を学んだ後、20歳頃に当地を離れ、四国から九州へ渡り、長崎にて中国明清画の習得に励んだ。その後、諸国を訪ねて制作活動を展開し、寛政6(1794)年には大坂の江戸堀に居を構える。以来、鳴亭・画隠屈と称した舎亭に女流画家の鈴川玉簾と同居し、十時梅厓、皆川淇園ら一流の文人たちと交流する日々を過ごした。同11(1799)年から諸国名勝を写生した画稿を整理し、各々に詩を賦した木版画集『日本勝地山水奇観』4冊を、続いて享和2(1802)年には後篇4冊を刊行した。それは当時盛んになりつつあった旅行熱に拍車をかけ、後にその図の一部が歌川広重の名勝錦絵に利用されるほどの人気作となった。

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