高隠自適図
ふりがな | こういんじてきず |
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作品名 英表記 | |
作家情報 | 釧 雲泉 KUSHIRO Unsen |
制作年 | 寛政4年 |
制作年 西暦 | 1792年 |
員数 | 1幅 |
材質・技法 | 紙本淡彩 |
形状 | 掛幅装 |
指定 | |
署名・年記等 | |
大区分 | 絵画 |
中区分 | 東洋画 |
小区分 | 近世日本 |
作品解説 | |
法量 縦 | 33 |
法量 横 | 33.5 |
法量 高さ |
ふりがな | こういんじてきず |
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作品名 英表記 | |
作家情報 | 釧 雲泉 KUSHIRO Unsen |
制作年 | 寛政4年 |
制作年 西暦 | 1792年 |
員数 | 1幅 |
材質・技法 | 紙本淡彩 |
形状 | 掛幅装 |
指定 | |
署名・年記等 | |
大区分 | 絵画 |
中区分 | 東洋画 |
小区分 | 近世日本 |
作品解説 | |
法量 縦 | 33 |
法量 横 | 33.5 |
法量 高さ |
作家情報名(ヨミ) | くしろ うんせん |
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作家情報名(英語) | KUSHIRO Unsen |
生年月日(西暦) | 1759/**/** |
生年月日(和暦) | 宝暦9年 |
没年月日(西暦) | 1811/**/** |
没年月日(和暦) | 文化8年 |
略歴・解説 | 肥前国島原(長崎県)に生まれ、長崎で中国語や画技を学んだといわれる。やがて四国・山陽・大坂・江戸と諸国遍歴の旅に出て、越後国出雲崎(新潟県)で没した。画人と呼ばれることを嫌う脱俗の人物として逸話が残るが、当時はその精神性のみならず筆墨や渲染も高名であった。 寛政3(1791)年から同12(1800)年にかけて、江戸から大阪経由で岡山に来訪する。備中南部中心に活動するが、その途中上方に遊び、再び帰岡したものと思われる。三備地方滞在中、様々な画法に精力的に取り組んだ時期で、充実した内容の注目作が近年いくつか発見されている。 江戸で知り合い親しくした岡山市庭瀬の江戸家老・海野蠖齋による縁もあり、岡山の文人らと交流、門人も育てた。浦上玉堂との合作も残る。備前市香登出身の画家・小橋陶復は岡山在住時の門人であった。 |