玉堂琴嚢
ふりがな | ぎょくどうきんのう |
---|---|
作品名 英表記 | Qin Cover Decorated by Various Artists |
作家情報 | 浦上 玉堂 URAKAMI Gyokudō/浦上 秋琴 URAKAMI Shūkin/浦上 春琴 URAKAMI Shunkin |
制作年 | 寛政10年 |
制作年 西暦 | 1798 |
員数 | 2幅 |
材質・技法 | 麻布墨書・墨画淡彩ほか |
形状 | 掛幅装 |
指定 | |
署名・年記等 | |
大区分 | 絵画 |
中区分 | 東洋画 |
小区分 | その他 |
作品解説 | |
法量 縦 | |
法量 横 | |
法量 高さ |
ふりがな | ぎょくどうきんのう |
---|---|
作品名 英表記 | Qin Cover Decorated by Various Artists |
作家情報 | 浦上 玉堂 URAKAMI Gyokudō/浦上 秋琴 URAKAMI Shūkin/浦上 春琴 URAKAMI Shunkin |
制作年 | 寛政10年 |
制作年 西暦 | 1798 |
員数 | 2幅 |
材質・技法 | 麻布墨書・墨画淡彩ほか |
形状 | 掛幅装 |
指定 | |
署名・年記等 | |
大区分 | 絵画 |
中区分 | 東洋画 |
小区分 | その他 |
作品解説 | |
法量 縦 | |
法量 横 | |
法量 高さ |
作家情報名(ヨミ) | うらかみ ぎょくどう |
---|---|
作家情報名(英語) | URAKAMI Gyokudō |
生年月日(西暦) | 1745 |
生年月日(和暦) | 延享2年 |
没年月日(西暦) | 1820 |
没年月日(和暦) | 文政3年 |
略歴・解説 | 玉堂は備前岡山藩支封備中鴨方藩士の子として岡山城下天神山の藩邸内で生まれた。本姓は紀、名は弼、字は君輔、通称は兵右衛門。玉堂の号は、35歳時に入手した七絃琴に刻された印「玉堂清韻」にちなんだもの。琴士、詩人、書家であり、とりわけすぐれた水墨画家であった。画業に関しては、直接的な師承関係は認められず、画譜・画論書類から独学で学んだらしい。50歳で脱藩、出奔し、京都を拠点に諸国を遊歴しながら琴詩書画に親しむ文人生活を送った。専門家・職業画人であることを拒否し、胸中の山水を描き続けた。 |
作家情報名(ヨミ) | うらかみ しゅうきん |
---|---|
作家情報名(英語) | URAKAMI Shūkin |
生年月日(西暦) | 1785 |
生年月日(和暦) | 天明5年 |
没年月日(西暦) | 1871 |
没年月日(和暦) | 明治4年 |
略歴・解説 | 秋琴は玉堂の次男として備前岡山城下に生まれた。本姓は紀、名は遜、字は仲謙、通称は紀二郎、号は秋琴。10歳で父の脱藩に伴い岡山を出奔したが、父が会津藩の招聘に応じて土津神社神楽を再興した功により11歳で同藩士となる。兄同様、早くから詩画や七絃琴に親しんだが、とりわけ音楽の才に恵まれた。23歳で同藩雅楽方頭取となり、藩内では詩画をたしなむものの音楽面での活動が中心となる。明治2(1869)年、会津戦争終戦に際し、85歳の彼は備前藩の兵士とともに岡山へ帰って宗尚らと住み、山水や竹を好んで描くも87歳で没した。 |
作家情報名(ヨミ) | うらかみ しゅんきん |
---|---|
作家情報名(英語) | URAKAMI Shunkin |
生年月日(西暦) | 1779 |
生年月日(和暦) | 安永8年 |
没年月日(西暦) | 1846 |
没年月日(和暦) | 弘化3年 |
略歴・解説 | 春琴は玉堂の長男として備前岡山城下に生まれた。本姓は紀、名は選、字は十千・伯挙、通称は紀一郎、号は春琴のほか睡庵・二卿など。少年の頃より詩画に才を発揮する。16歳の時、父の脱藩に同行して岡山を出奔、以後、京都を活動の拠点とした。写生に基礎を置く温和な山水・花鳥を描き、洗練されて気品のある画面を持ち味とする。京坂文人画壇きっての人気作家で、頼山陽や小石元瑞らとの交友で知られる。晩年の玉堂と同居していたが、弟秋琴の次男宗尚が春琴の養子となって備中鴨方藩に仕え岡山に浦上家を再興した。 |