古山陸奥介弘元

出身地二本松
没地二本松
没年月日(西暦)1843/05/27
没年月日(和暦)天保14/05/27

略歴・解説

鉄砲鍛冶2代久四郎の次男。刀鍛冶を志して、仙台11代国包に師事して国秀と銘した。文化2年江戸の水心子正秀の門に入り修業する一方、同郷の安積艮斎を介して司馬江漢の西洋科学の研鑚を積み、焼き刃・湯加減や刀剣発錆の理に触れた『刀を作る記』を文化8年に著している。文政3年には『刀剣目利書』を著し、翌年には師正秀より秘伝書『刀工秘伝志』を伝授された。さらに、この年11月13日には陸奥介を拝領した。文政末には帰藩し、藩御抱え刀工として藩士の作刀に専念、名匠の作に劣ることなく、また他藩からの注文に応ずるのを藩主は快しとしなかったという。銘には、「二本松住古山宗次」「陸奥介弘元」「古山陸奥介藤原朝臣弘元」などがある。墓所は二本松市亀谷の光現寺。
【通称など】東蔵、幸之進、国秀、宗次

この人物の資料一覧[全5件]

PageTop