竹内 東仙

出身地二本松
没地二本松
没年月日(西暦)1924/4/1
没年月日(和暦)大正13/04/01

略歴・解説

幼少にして藩儒三谷慎斎に学び、のち篠沢辣堂、鷲津毅堂の門に入る。儒学はもちろん、書もよくし、また国史にも通じたが、詩を最も得意とし、若くして藩校敬学館の教授となったが、大政奉還に際し、藩主は勤王の誠意を示すべきの上申を入れられず辞職。維新後、再び藩校教授となり、のち各地の師範学校で教鞭をとったが、老母孝養のため職を辞して帰郷。明治20年、根崎に漢学の明倫塾を開き後輩を教育した。作詩は、古詩に長じ2万余に及ぶといわれ、東北詩壇の指導者として、その名は全国に知られ、人格も高潔で温厚な学者であった。著書に、『東仙詩文抄』『松藩余韻』『詩体便覧』『旧雨小伝』『詩韻異同便覧』等がある。墓所は二本松市亀谷の蓮華寺。
【通称など】兵介、連、貞、誠甫

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