略歴・解説
代々町医者の家に生まれ、幼少より画をよくし、染屋に奉公し、衣紋書の名人として評判を得た。のち藩主丹羽長富に認められ、命により文政11年大原文林と共に谷文晁の門下生となり、すぐに師の代筆をも務めるほどになった。その後、長崎に渡り、帰化僧鉄翁を師とし南画を極め、肥・薩2州を遍歴し画名を高めた。のち江戸藩邸に帰り、御側絵師として60石、ほかに硯、筆、唐墨、絵具なども支給され藩主の寵遇は厚かった。維新後、小浜に戻り、のち二本松に住した。墓所は二本松市竹田の顕法寺。
【通称など】辰三、巽、器、文映、三石道人