上杉景勝書状【The letter of Uesugi-Kagekatsu】

よみうえすぎかげかつしょじょう
資料ID35525
コレクション名越後文書宝翰集
時代120
指定重要文化財
解説慶長4年2月、五大老として国政の任にあった景勝が伏見から国元会津へ送った書状。国元に支配や、諸工事の完了などを求めている。宛名の3名、安田能元・岩井信能・大石元綱らは会津三奉行と呼ばれ、領国支配を統括していた。慶長3年正月の移封によって会津に移された景勝は、すぐさま領国内の諸工事を命じたことがわかる。会津領国内の諸工事等に対して、家康はのちに景勝を詰問し、関ヶ原合戦へと進んでいくが、これらについてはこの時点で徳川氏も知っていることであり、密かに進められているようなことではなかったといえる。

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