関東下知状【The document of order from Kanto 】

よみかんとうげちじょう
資料ID35462
コレクション名越後文書宝翰集
時代90
指定重要文化財
解説平家綱に亡き父大見行定から譲られた美濃国飛鳥郷と越後国白河庄水原条・船江条の地頭職を鎌倉幕府が安堵したものである。父行定ののち惣領となった家政に対し、家綱は庶子であったため、この時期の幕府の方針によって、下文ではなく下知状で安堵されている。白河庄下条の水原条などを支配する家綱の子孫は、のちに水原氏を称するようになる。庶子であった家綱の系統に連なる水原氏に、本文書と同日付の惣領家政や平氏字摩尼あての幕府安堵状が伝来しているのは、家政のあとをついだ大見家経が、応永5年(1398)に水原氏の次男を養子として、山浦四箇条などの地頭職や相伝文書を譲ったからであろう。

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