上杉輝虎書状

よみうえてるとらしょじょう
資料ID35031
時代110
解説永禄11年(1568)、村上に本拠を置く本庄繁長が武田信玄と結んで兵を挙げました。謙信はすぐに直江景綱や柿崎景家を向かわせ、夏頃に越中との国境線の守備を固めた上で、繁長を攻撃することになりました。一方の繁長としては、信玄の越後攻撃を期待するところでしたが、信玄はこの頃駿河国(現在の静岡県)の今川氏真を攻撃しており、越後には攻め込みませんでした。謙信は繁長との抗争を優位に進めながら、芦名・伊達両氏の仲介を入れて講和します。この古文書は、謙信が下越の諸将に対して軍勢を集めるよう要請している状況を伝えるもので、宛先は水原蔵人丞・冨所隼人佐・松木内匠助・竹俣三河守・加地彦次郎の5名となっています。謙信は本庄攻めにあたって下越の諸将を多数動員していました。永禄11~12年の越後はたいへん揺れ動いており、非常に重要な年でした。

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