直江状【the letter of Naoe】

よみなおえじょう
資料ID34935
時代江戸
解説慶長5年(1600)4月1日、徳川家康のブレーンであった西笑承兌は、直江兼続にあてて、上杉景勝の上洛等を要求する内容を記した書状を送りました。4月14日、兼続はこれに反論し、その要求を拒否しました。兼続の出した返事を読んだ家康は激怒し、結果として関ヶ原合戦までつながるといわれています。「直江状」とはこのときの兼続による返事であるとされ、関ヶ原合戦のきっかけの一つとしても注目されています。西笑承兌の書状は9箇条にわたる長い文章ですが、「直江状」はそれに対応したかたちで16箇条に及んで反論を記しています。江戸時代以降には往来物として普及し、たいへん有名になりました。「直江状」は多くの写本が現存していますが、この写本はおおむね17世紀前半頃のものと考えられ、伝来しているなかでは古い時代のものといえます。

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