助高屋高助の政岡(宮城県)

法量(幅)㎜504
法量(高さ)㎜358
公開解説 押絵に描かれた「伊達評定春読物」は伊達騒動を題材にしたものである。明治13年(1880)に市村座で上演された時には、四代目助高屋高助が政岡を演じ好評を博した。政岡は、命を狙われた幼君鶴喜代(この時の役名は鶴千代)の乳母であり、毒見をして殺された実子千松の死にも動揺を隠し、幼君を守り抜く忠義心の篤い女性である。
 伊達騒動とは、江戸時代前期におきた仙台藩の御家騒動のことで、三代藩主伊達綱宗の不行跡による隠居、二歳の亀千代(後の四代綱村)の家督相続により、藩政の実権をめぐって家中が対立した。大老酒井忠清邸で行われた対決では、仙台藩奉行の原田甲斐が反対派の伊達安芸を斬殺し、原田自身も深手を負って即死した。後に脚色され、時代設定や人物の名前をかえて歌舞伎化された。
 行灯の明かり窓の縁には雀があしらわれ、滝和亭の「竹」がおさめられている。この絵は後に補われたものだが、伊達家の家紋「竹に雀」を想起させるものとなっている。

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