秋景山水図

TitleAutumn Landscape
作家名奥原晴湖 OKUHARA Seiko
技法・素材彩色、紙
制作年1878
制作年(和)明治11
寸法縦(cm)179.70
寸法横(cm)99.50
作品・作家解説奥原晴湖[おくはら・せいこ]
1878(明治11)年 彩色、紙、軸 179.7×99.5cm

夕日を浴びてそびえ立つ山容、中腹には高殿が垣間見えます。白雲たなびく紅葉の山道を、流れ落ちる水が渓流にさしかかるところまで、訪ねてきた客人を見送る光景を描いた図です。スケールの大きい画面構成と、抑揚ある運筆で、墨色豊かに深山幽谷の景を見事にとらえ、樹木に代赭(たいしゃ)を点々と施すことで暮れゆく秋のもの悲しい風情を盛り上げています。維新の政治家たちが南画の覇気ある画風を好んだことから、この頃の南画家たちは一世を風靡(ふうび)する勢いで、晴湖も男性画家に伍(ご)して活躍しました。この作品では東海晴湖と署名していますが、さらに日本晴湖、亜細亜晴湖といった署名も用いて気炎を上げています。この時期の作品には、筆が走りすぎて粗放に流れたものもありましたが、同時期のこの作品にも多少そうした気分の高揚がうかがえます。

奥原晴湖[おくはら・せいこ] 1837(天保8)―1913(大正2)
本名は池田節(せつ)。奥原家の養女となる。古河藩の絵師・牧田水石(ひらたすいせき)に師事。画道を志し江戸に出る。上野の摩利支天(まりしてん)横丁に画塾〈墨吐烟雲楼〉(ぼくとえんうんろう)を開設。豪快な画風で南画壇に一家を成した。1891年、熊谷の旧上川上村に隠棲(いんせい)後は謹厳で精緻(せいち)な画風に転じた。

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