金銀象嵌蘆双鶴図花瓶

資料ID475
中分類工芸
小分類金工
コレクション分類水野家資料
法量口径4.0 胴径5.9 底径3.7高さ15.4
制作年明治~大正【1877~1892年】
作者名A銅器会社
作者情報銅器会社 【1877~1892年】
1877年(明治10)金沢の士族長谷川準也によって設立。長谷川は、銅器会社だけでなく撚糸会社も興し、殖産興業に努めた実業家であるが、もとは旧加賀藩士家出身で県の勧業担当という官の仕事をしていた人物である。藩政期に加賀藩で刀剣類などの細工を行っていた白銀師と呼ばれた工人達は、明治維新によってその職を失ったが、彼らの多くが銅器会社の工人として新たに装飾品や花器などを製作してその技量を発揮している。設立以前の1873年(明治6)に開催されたウィーン万国博覧会には、この工人たちが製作した作品が出品されており、すでにその母体はこの頃からできていたとされる。設立当初の職工は50余人で、その中には水野源六や山川孝次などがいた。明治20年頃から操業は休止状態となり、正式な会社の解散は1892年(明治25)頃と思われるが、諸説ある。

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