(資料群)天野家 資料

資料群・作家名(ヨミ)あまのけしりょう

略歴・解説

1~14は、戦前から昭和20年代の貨幣である。同じ貨幣でも、年代によって図柄や成分が異なるが、4種類ある一銭硬貨について、見てみるとその変遷がよくわかる。1の大正10年(1921)発行のものは、銅が成分のほとんどを占める、青銅貨である。その後、一銭硬貨は昭和13年(1938)6月1日に施行された臨時通貨法によって、銅の割合が減り、亜鉛が増えた黄銅貨に変わる。これは、銀・銅・ニッケルなどの節約をはかるためのものであった。さらに、一銭硬貨は、その後アルミ貨に変わる。4と5はどちらも、アルミ貨であるが、5の方がひとまわり小さく、量目も変更されて、5の方が軽くなっている。やがてアルミニウムも飛行機等の材料として必要とされるようになり、昭和19年には、南方の占領地で採れる原料を使った、錫・亜鉛貨に変わり、さらにひとまわり小さくなった。昭和12年、日中全面戦争に突入していくが、翌13年から、戦争遂行のため、さまざまな物資の使用や供給が制限されるようになる。このことは、国民の年活に大きく影響し、特に使用を制限され、製品の回収まで行われた、金属については、それに代わる代用品が次々と考案された。一銭硬貨の成分や大きさ、量目の変化も、軍事用の金属を確保するための政策であり、終戦直前には、陶製の貨幣も製造されたようである(発行はされなかった)。また、2・3は、軍票(軍用手票)と呼ばれるもので、軍隊が戦費調達のため、戦地や占領地域などで発行した紙幣である。当初の軍票は、日本の通貨と交換できるという但し書きがあり、その価値が保証されていたが、昭和10年代の後半になると、現地の通貨単位のものが発行されるようになった。これらの軍票は、終戦とともに無効とされ、その価値を失った。これらの貨幣もまた、戦時下の生活を物語る資料といえるであろう。15~23は、大正時代の尋常高等小学校の成績表と進級の通知書で、寄贈者の母親のものである。15~18の通学のたよりは、成績・出席状況・身体の状況等が記されている。当時の標準体格表などもある。また、保護者の注意・子供の心得などには当時の価値観や表現が見られて興味深い。17・18には1年間の学校行事も掲載されており、当時の学校の様子がわかる。24は、寄贈者自身のものである。学校で行われていた軍事教練の検定合格証明であるが、当時学校に将校が配属されていたことや、卒業時に検定が行われていたことなどがわかる貴重な資料である。
(香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成12年度』より、一部修正し転載)

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