(資料群)白石家 資料(1)

資料群・作家名(ヨミ)しらいしけしりょう

略歴・解説

はじめに
本資料は白石健二氏が撮影・収集した香川県に関する写真プリントである。尼崎市立地域研究史料館に勤務されている白石氏は景観写真の記録的価値を重視され、歴史資料としての写真撮影を全国的に行っている。写真には、撮影年月日・撮影箇所・被写体やその解説が添えられており、また撮影場所・方向を記した地図も添付されて、刻々と変化する景観が記録されている。20世紀末、昭和から平成を後世に伝える景観記録として貴重なものとなるであろう。
本稿では白石氏自身の解説『香川県の鉄路と景観』をもとに各資料の解説を行いたい(「 」が引用部分)。ただし、解説項目名は本館での活用を主眼とした項目名を付した。なお、目録も白石氏作成の目録を編集したものであり、所蔵フィルムの番号などは割愛させていただいた。景観記録の重要性については、白石氏の論文「景観を記録する-居住地と阪神大震災・実践と課題-」(『八潮市史研究』18、1996)を参照した。
1 国鉄と宇高連絡船(番号1~22)
番号1~21は1987年2月の写真。「1987年4月1日の国鉄分割・民営化を間近に控えた当時の四国の国鉄は、全区間が非電化路線であり、特急列車は、高松~松山・宇和島の『しおかぜ』、高松~高知・中村の『南風』の2種類に過ぎなかった。特急用車両は従来からのキハ181系気動車(ディーゼルカー)に加え、新型車両のキハ185系が登場、普通用車両も軽量ステンレス車のキハ54系、閑散線用短車体のワンマン化対応の軽快車キハ32系が登場している。この車両の塗色はアイボリーをベースカラーに松山地区がオレンジ、徳島地区がブルー、高知地区が赤色の帯が入っている。1987年3月23日の四国国鉄初の電化区間開業(予算本線高松~坂出、多度津~観音寺、土讃本線多度津~琴平)を前に、四国初の電車121系が試運転をしていた。」
これらの撮影直後、「1987年4月1日、JRグループの1社としてJR四国が発足、同年10月2日、予算本線坂出~宇多津~丸亀が電化新線に切り替えられた。1988年4月10日には電化路線の本四備讃線(瀬戸大橋線)が開業。本州と四国が一本の線路で結ばれ、その陰で1903年(明治36)の山陽汽船の岡山~高松航路をルーツとし、1910年から宇野~高松を結んできた宇高連絡船は姿を消した。就航していた伊予丸・阿波丸・土佐丸・讃岐丸のうち、讃岐丸は瀬戸大橋観光のための遊覧船となったが、採算が合わず廃止された。高速艇は1990年4月1日に休止されるまで運行されていたが、1991年3月16日に宇高航路は正式に廃止された。JRになってから、車両は徐々にコーポレットカラーの水色をベースに車体塗色が変更された。瀬戸大橋線開業とともに、岡山~高松に『スーパーサルーンゆめじ』を連結した快速『マリンライナー』が運転を開始、特急では『しおかぜ』が岡山~松山・宇和島、『南風』が岡山~高知・中村、『うずしお』が岡山・高松~徳島の運転を開始、従来『しおかぜ』『南風』を名乗っていた高松発松山・高知の列車は、『いしづち』『しまんと』に名称が変更された。東京発宇野行の寝台特急『瀬戸』も高松行となった。その後、振子式気動車TSE2000系などの新型車両が登場、電化区間も1990年1月21日予讃線伊予北条~伊予市、1992年7月23日観音寺~新居浜、今治~伊予北条、1993年3月18日新居浜~今治と延び、高松・岡山~松山が8000系特急電車で結ばれるようになった。特急『しおかぜ』『いしづち』も宇和島直通以外は電車化された。」
番号22は1992年電化直後のJR予讃線の写真。
2 高松琴平電鉄(番号23~61)
1997年11月撮影の琴平線・長尾線の写真。「高松琴平電鉄は、『動く電車博物館』とも呼ばれ、長尾線・志度線を中心に旧型電車が運転されていることで有名である。そのなかには旧阪神電鉄の車両もある。」この写真群のなかには、同電鉄高松築港駅やJR高松駅が撮影されているが、この後サンポート高松計画に伴い、JR高松駅をはじめ周辺ビル群が解体され、現在再開発工事中であり、撮影時とは景観を異にしている。
3 高松市及びその周辺(番号62~155)
1997年11月撮影の屋島・八栗・玉藻公園・香川県立図書館・香川県立文書館の写真、及び、1998年9月撮影の栗林公園の写真。移動の際の琴電バス・ケーブル・JR線・高松琴平電鉄線の車両・各駅の写真も含まれる。高松城を背景に走る高松琴平電鉄の姿は、鉄道ファン人気の撮影スポットであるが、サンポート高松計画によれば、高架になることが予定されており、今後景観が大きく変わっていく地区である。
4 神高フェリー (番号156~180)
1998年9月30日、明石大橋開通に伴い、日本海運・四国フェリーの神戸~高松航路が廃止された。この写真群はまさに廃止前夜の9月29日撮影のものである。フェリーだけでなく、切符売場や航路廃止の貼紙なども撮影されており、景観記録という撮影者の意識を強く感じる。到着先の東神戸港(青木)は、神高フェリー廃止後も加藤汽船ジャンボフェリーが発着していたが、1999年3月に神戸三宮港発着へと変更されたため、現在では神戸~高松航路で東神戸港に寄港する船はなくなった。
(香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成10年度』より、一部修正し転載)

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