(資料群)安藤B家 資料

資料群・作家名(ヨミ)あんどうBけしりょう

略歴・解説

本資料は、昭和30年代後半から40年代にかけての生活資料と、「株式会社丸亀銀行」の文字が裏面に彫られてある算盤からなる資料である。
丸亀銀行は大正10年(1921)10月8日に設立され、昭和2年(1927)9月1日に山陽銀行と合併した普通銀行である。その前身は明治29年(1896)に設立された円亀商業銀行であった。日清・日露戦争から大正初期の日本経済発展の時期に円亀商業銀行も順調に業績を伸ばした。その後、大正10年、第1次世界大戦後の恐慌の中で貯蓄銀行法が公布された際に、貯蓄部を讃岐貯蓄銀行に分離して商号を丸亀銀行とした。さらに、大正12年1月1日には三豊銀行と合併し、これによって丸亀本店の他、豊浜町・仁尾村・詫間村・大野原村(いずれも現観音寺市~三豊市)に店舗を展開するようになった。しかし、翌大正13年からは経営が悪化し、大正14年に山陽銀行に全株式を譲渡した。琴平銀行の休業、そして取付騒ぎに端を発した香川県下における金融恐慌の中、昭和2年3月に銀行法が公布され、同年9月1日に丸亀銀行は山陽銀行に合併した。これによって丸亀本店は山陽銀行丸亀支店となった。
長引く不況の中、山陽銀行もまた昭和5年に第一合同銀行と合併して中国銀行となり現在にいたっている。詳しい伝来のない資料であるのが残念であるが、大正末から昭和初期のわずか6年間だけ存在した銀行の名称を示し、当時の経済の混乱をあとづける資料である。
(香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成10年度』より、一部修正し転載)

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