(資料群)新田B家 資料

資料群・作家名(ヨミ)にったBけしりょう

略歴・解説

昭和28年2月にNHK東京放送局が初めてテレビ放送を始める。その後の急速な家庭電化製品の普及から、この年は「電化元年」とも呼ばれる。しかし、一般に香川県でテレビ放送が見られるようになったのは昭和32年の12月にNHK岡山放送局が開局し、岡山及び香川全域と愛媛の一部にテレビ電波を送るようになってからである。当時、県内における受信契約件数は1300件で翌年の3月には3500件に増加した(『N H K高松局50年のあゆみ』より)。資料1はこの当時使用された白黒テレビである。新田氏は、テレビ放送が始まった頃、詫間町(現三豊市詫間町)の電気店でキット販売されていたこのテレビを購入し、自身で組み立てられた。昭和28年の最初のテレビ受像機は当時の大卒初任給の10倍以上の高価格で、その後昭和33年頃には量産化による低価格化が進んだとはいえ、まだまだ安い買い物とはいえなかった。そこで、資料のような安価なキット製品を購入する人も少なくなかった。このテレビを使うためには、当時の供給電圧では足らず、資料3の変圧器を通して電圧を上げ、資料2の電圧計で適正な値に達したことを確認してからテレビのスイッチを入れた。また電波をできるだけ良好な状態で受信するために竹竿の先にアンテナをつけてできるだけ高く掲げるような工夫もしたという。それでもゆっくりと受像機にあらわれた画像はおぼろげなものであったという。昭和34年の「御成婚」がテレビ放送されたとき、高松では県庁玄関前広場に9台の受像機が置かれ、7千人の人々がつめかけた(『NHK高松局50年のあゆみ』より)。一方、詫間町生里地区では、地域で唯一のこのテレビの前に近所の人々が集まってその模様を見つめたという。県内にテレビが登場した当初の事情を伝える資料である。
(香川県教育委員会『歴史博物館整備に伴う収蔵資料目録 平成9年度』より、一部修正し転載)

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