(資料群)田村家 資料(2)

資料群・作家名(ヨミ)たむらけしりょう

略歴・解説

本資料は平成7年度に続いて田村家より収集した資料である。8の七言絶句は菊池五山の漢詩書。富士山の日暮れの眺望を詠んだものである。菊池五山は、:江戸時代後期の漢詩人で、名は桐孫、字は無絃、通称は左太夫、号は五山または娯庵。明和6年、高松生まれ、嘉永2年没。はじめ父室山より、長じて京都の柴野栗山に学ぶ。一時讃岐を離れ、諸国を遊学するが、文政8年に菊池家(宝暦2年に改易)を再興して継ぐことを許され高松藩に仕える。主に江戸藩邸に務めたため、以後の五山の詩文活動は江戸を中心に展開する。江戸においては市河寛斎門下を中心とした詩人の集まりである江湖社に入り、詩文活動を行った。当時活躍した多くの詩人と交遊があり、五山の詩才は高く評価されていた。五山が中心となり、文化4年から天保3年にかけて編集・刊行された「五山堂詩話」10巻・「補遺」5巻は流派を超え、階層を超えて編まれた当時の漢詩壇を代表する書であり、発刊当初から好評を博し、現在においても当時の漢詩壇の様子を知る上で重要な資料である。9の七言絶句は、久保梅亭の漢詩書。桜を愛でつつ、詩吟にふける姿を詠んだものである。久保梅亭は、江戸時代後期から明治時代初期にかけて活動した蘭法医である。文政4年、古高松に生まれ、明治16年没。久保家は代々蘭法医を勤め、同家の久保桑閑は平賀源内の最初の長崎留学に同行したと伝えられる。桑閑の曾孫にあたる梅亭も長崎に遊学し、蘭法医学を修めて医業を務めた。名は盛仁、通称は仲三郎、号は梅亭後に改め梅翁。経史を藤沢東ガイ・安部絹州に、画を中川馬嶺に学び、詩も嗜んだ。
(香川県教育委員会『歴史博物館整備に伴う収蔵資料目録 平成9年度』より、一部修正し転載)

この資料群・作家の収蔵品一覧[全2件]

件ずつ表示

PageTop