(資料群)冨岡B家 資料

資料群・作家名(ヨミ)とみおかBけしりょう

略歴・解説

大正4年に行なわれた大正天皇即位式にあたって、主基殿御用筵の製作の奉仕者となった冨岡和三郎氏に関わる資料である。
周知のとおり、大正天皇の即位にあたっては、綾歌郡山田村(現綾川町大字山田)に主基斎田が選定された。その際、同様に「大嘗祭主基殿における庭積机代物」として、精米や精粟、甘藷、乾鯛及乾海老などの献納が福栄村、前田村、小豆郡、三豊郡に選定された。また、大嘗祭御用玄米、大嘗御用白米は、前記山田村に、糯粟は、前記前田村に献納を命ぜられ、大嘗宮造営御用筵及藁については、藁は前記山田村に、筵は香川郡上笠居村、多度郡象郷村、三豊郡笠田村の3ヶ所に選定された。
冨岡家は、香川郡上笠居村において選定されたもので、『主基斎田記録』(大正7年・香川県)や「上笠居村史』(昭和27年・上笠居村公民館)によれば、和三郎氏は天保14年生まれで、「温厚篤實ニシテ公益慈愛ノ心ニ富ミ村内有数ノ素封家タリ・・・」とあり、戸長、村会議員、学務委員、村農会副会長、園芸組合長、産牛組合議員などの役職につき、共同苗代、採種田、青年夜学舎、麦稈真田検査所、農事改良組合事務所などに自宅や所有地を提供するなどし、農事改良につとめていたという。また、和三郎氏は直心蔭流免許皆伝で、柔術、槍術にも長ける一方、華道にも精通し未生流の師匠でもあったという。和歌、書道、俳旬にも秀で、幕末維新時、志士との交流もあったという。大正7年に76才で死去している。
今回寄贈された資料は、斎田整地作業風景や早乙女などの写真類、和三郎氏や早乙女着用の衣類、栽培田平面図、献納御筵製作設計書などである。木箱に入っており、蓋表には次のように墨書されている。
「大正四年御即位挙行大嘗祭/用御用筵弐百枚製作ヲ命セラレ/奉仕シ六月十七日田植式ヲ行ヒ九月/製筵ノ上京都二於テ引渡ヲ了セリ當時/用ヒシ奉仕者服装及田植女服装/ナリ/奉仕者/冨岡和三郎/時二歳七十四歳」
(香川県教育委員会『歴史博物館整備に伴う収蔵資料目録 平成5・6年度』より、一部修正し転載)

この資料群・作家の収蔵品一覧[全22件]

PageTop