富士谷御杖

大分類明治期国学・神道・宗教関係人物データベース
分野分類 CB宗教学・神道学
文化財分類 CB学術データベース
資料形式 CBテキストデータベース
人名富士谷御杖
+読み仮名 / NAME / 性別ふじたに みつえ / FUJITANI Mitsue / 男
+別称〔称〕成元[生涯]
〔号〕綾衣[生涯]
+生年月日明和5年(1768)[生涯]
+没年月日文政6年12月16日(1824年1月16日)[生涯]
+学統・宗派富士谷成章、広橋兼胤、三宅嘯山、日野資枝、庭田重嗣[生涯]
+研究書・伝記
+研究論文
+事典・略伝等
+略年譜明和5年(1768) 父・富士谷成章(国語学者)、母・千重(富士谷尹寿の長女)の長男として、柳川藩の京邸留守居役の家に生まれる[生涯]。
安永5年(1776) この頃より父成章が病気がちとなる[生涯]。
安永8年(1779) 10月、父成章が死去。享年42歳。この頃、広橋兼胤のもとで詠草の点竄を受ける[生涯]。
天明元年(1780) 14~15歳の頃から歌学を習い始める[生涯]。
天明3年(1783) 母千重が死去[生涯]。
天明6年(1876) 5月、19歳にして、堂上歌人烏丸光広の流れをくむ日野家に入門。またこの頃、当時の京都俳壇の重鎮である三宅嘯山に入門[生涯]。
天明8年(1788) 1月、京都大火で罹災し、多くの蔵書を失う[生涯]。
寛政4年(1792) この1、2月頃から翌年にかけ、庭田重嗣宅に出入りする。10月、ほぼ最初の歌論集として『歌道非唯抄』を刊行[生涯]。
文化8年(1811) 御杖に改名[生涯]。
文政3年(1820) 大阪に移住する[生涯]。
文政4年(1821) 北陸を遊歴する[生涯]。
文政6年(1824) 12月16日、病没。享年56歳[生涯]。
+著作目録類三宅清「稿本目録」『富士谷御杖』三省堂、1942年。
+主要著作『古今和歌集 仮名序』
『歌道非唯抄』
『うたふくろ』寛政5年
『百人一首燈』
『真言弁』
『歌道解醒』
『俳諧天爾波抄』
『古事記燈大旨』
『神典言霊』
『神明憑談』
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+国学関連人物データベース
+国学関連人物データベース
データベースの典拠「生涯」=多田淳典『増訂 異色の国学者 富士谷御杖の生涯』思文閣出版、1995年。
-110129 50 2020/03/26 kota.saito 本登録 0 JMK000180 富士谷御杖 FUJITANI Mitsue 富士谷御杖 FUJITANI Mitsue 明和5年(1768)~文政6年(1824) ふじたに みつえ / FUJITANI Mitsue / 男 ふじたに みつえ 〔称〕成元[生涯]
〔号〕綾衣[生涯] 明和5年(1768)[生涯] 文政6年12月16日(1824年1月16日)[生涯] 富士谷成章、広橋兼胤、三宅嘯山、日野資枝、庭田重嗣[生涯] - - - 明和5年(1768) 父・富士谷成章(国語学者)、母・千重(富士谷尹寿の長女)の長男として、柳川藩の京邸留守居役の家に生まれる[生涯]。
安永5年(1776) この頃より父成章が病気がちとなる[生涯]。
安永8年(1779) 10月、父成章が死去。享年42歳。この頃、広橋兼胤のもとで詠草の点竄を受ける[生涯]。
天明元年(1780) 14~15歳の頃から歌学を習い始める[生涯]。
天明3年(1783) 母千重が死去[生涯]。
天明6年(1876) 5月、19歳にして、堂上歌人烏丸光広の流れをくむ日野家に入門。またこの頃、当時の京都俳壇の重鎮である三宅嘯山に入門[生涯]。
天明8年(1788) 1月、京都大火で罹災し、多くの蔵書を失う[生涯]。
寛政4年(1792) この1、2月頃から翌年にかけ、庭田重嗣宅に出入りする。10月、ほぼ最初の歌論集として『歌道非唯抄』を刊行[生涯]。
文化8年(1811) 御杖に改名[生涯]。
文政3年(1820) 大阪に移住する[生涯]。
文政4年(1821) 北陸を遊歴する[生涯]。
文政6年(1824) 12月16日、病没。享年56歳[生涯]。 三宅清「稿本目録」『富士谷御杖』三省堂、1942年。 『古今和歌集 仮名序』
『歌道非唯抄』
『うたふくろ』寛政5年
『百人一首燈』
『真言弁』
『歌道解醒』
『俳諧天爾波抄』
『古事記燈大旨』
『神典言霊』
『神明憑談』 - - - - - - - - - - - - - - - - - - 「生涯」=多田淳典『増訂 異色の国学者 富士谷御杖の生涯』思文閣出版、1995年。 - ? 1
+備考

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