【解説】大嘗会供神膳秘説 

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+解説大嘗会供神膳秘説 [貴1176]

〈外題〉大嘗会供神膳秘説 建暦御記
〈内題〉大嘗会供神膳秘説 建暦御記
〈巻冊〉1冊
〈体裁〉袋綴
〈書写年代〉江戸時代後期
〈表紙寸法〉縦27.0 糎×横18.9糎
〈奥書〉永仁六年十一月□書写之 自法皇所給也/後鳥羽院御記被書写云々
    永仁六年十月二十七日書写之本法皇宸筆也/後鳥羽院御記被書留云々 依為供神膳最要事/書留之
〈解題〉

建暦2年(1212)10月21日と25日の『後鳥羽院御記』を抄出した記録の江戸時代における写本である。21日条には大嘗祭における神饌供進の様子が記され、25日条には神殿内で天皇が申す「祈請」の詞が記されている。

本書の内容は、建暦2年11月に予定された順徳天皇の大嘗祭を目前に控え、天皇の父である後鳥羽院が大嘗宮神殿内における「秘事」を順徳天皇のために記したものである。この後鳥羽院宸筆の御記を、伏見上皇が永仁6年(1298)10月と11月に、後深草法皇より宸写本を賜って、子である後伏見天皇(永仁6年11月20日に大嘗祭)のために転写した。伏見上皇の宸筆は宮内庁書陵部に所蔵されている。

本書の内容は「秘説三ヶ事」として、大きく3つに分けられる。1つ目は神殿内における神饌供進の具体的な作法であり、神殿内の敷設の様子が図示され、天皇の神殿内における経路も記されている。天皇は神殿内に敷かれた神(寝)座の南に置かれた沓側を通り、南東向きに敷かれた御座に着く。そして御座の前に敷かれた神食薦に神饌を盛った枚手(ひらで)を供えるわけだが、その2通りの並べ方も図示されている。ここで白河院の提唱したとされる説が「上説」とされていることが注目される。本書自体も、後鳥羽院→順徳天皇、伏見院→後伏見天皇と父子間で「秘事」が伝授されており、父子間で大嘗祭の作法伝授が重視され、その画期に白河院の存在があったことを示唆する。

2つ目は、神に供え天皇自身も共食する御飯に、米と粟の2種類があったことである。本書はこのことを「秘事」としている。毎年の新嘗祭には米と粟が御飯として奉られるが、大嘗祭においても粟の御飯があるとする史料は、平安時代後期以降にしか見出すことはできない貴重なものである。

3つ目は、神殿内にて天皇が申す「祈請」の詞の記載である。この詞は「最秘蔵事」と記され、他の書には容易に見出すことができない。そこには、祈り申す対象を「伊勢の五十鈴の川上に坐す天照大神、また天神地祇の諸神」としている。大嘗祭の祭神を明確に記載した史料は乏しく、本書の貴重性が窺われる。

本書で「秘事」とされたことは、神饌供進の作法と、天皇の申す詞であった。そこにはとりわけ隠さなくてはならない秘儀などはない。神事において最も重要な核心部分を大事にし、人目につかないよう秘してきたのであった。

〈参考〉

・岡田莊司『大嘗祭と古代の祭祀』(吉川弘文館、平成31年3月)

・大野健雄校注『神道大系』朝儀祭祀編五 践祚大嘗祭(神道大系編纂会、昭和60年10月)
+登録番号(図書館資料ID)貴-1176
資料ID143130
所有者(所蔵者)國學院大學図書館
-143130 37 2020/11/18 r.teshina 【解説】大嘗会供神膳秘説  【解説】大嘗会供神膳秘説  貴-1176 01 021 大嘗会供神膳秘説 [貴1176]

〈外題〉大嘗会供神膳秘説 建暦御記
〈内題〉大嘗会供神膳秘説 建暦御記
〈巻冊〉1冊
〈体裁〉袋綴
〈書写年代〉江戸時代後期
〈表紙寸法〉縦27.0 糎×横18.9糎
〈奥書〉永仁六年十一月□書写之 自法皇所給也/後鳥羽院御記被書写云々
    永仁六年十月二十七日書写之本法皇宸筆也/後鳥羽院御記被書留云々 依為供神膳最要事/書留之
〈解題〉

建暦2年(1212)10月21日と25日の『後鳥羽院御記』を抄出した記録の江戸時代における写本である。21日条には大嘗祭における神饌供進の様子が記され、25日条には神殿内で天皇が申す「祈請」の詞が記されている。

本書の内容は、建暦2年11月に予定された順徳天皇の大嘗祭を目前に控え、天皇の父である後鳥羽院が大嘗宮神殿内における「秘事」を順徳天皇のために記したものである。この後鳥羽院宸筆の御記を、伏見上皇が永仁6年(1298)10月と11月に、後深草法皇より宸写本を賜って、子である後伏見天皇(永仁6年11月20日に大嘗祭)のために転写した。伏見上皇の宸筆は宮内庁書陵部に所蔵されている。

本書の内容は「秘説三ヶ事」として、大きく3つに分けられる。1つ目は神殿内における神饌供進の具体的な作法であり、神殿内の敷設の様子が図示され、天皇の神殿内における経路も記されている。天皇は神殿内に敷かれた神(寝)座の南に置かれた沓側を通り、南東向きに敷かれた御座に着く。そして御座の前に敷かれた神食薦に神饌を盛った枚手(ひらで)を供えるわけだが、その2通りの並べ方も図示されている。ここで白河院の提唱したとされる説が「上説」とされていることが注目される。本書自体も、後鳥羽院→順徳天皇、伏見院→後伏見天皇と父子間で「秘事」が伝授されており、父子間で大嘗祭の作法伝授が重視され、その画期に白河院の存在があったことを示唆する。

2つ目は、神に供え天皇自身も共食する御飯に、米と粟の2種類があったことである。本書はこのことを「秘事」としている。毎年の新嘗祭には米と粟が御飯として奉られるが、大嘗祭においても粟の御飯があるとする史料は、平安時代後期以降にしか見出すことはできない貴重なものである。

3つ目は、神殿内にて天皇が申す「祈請」の詞の記載である。この詞は「最秘蔵事」と記され、他の書には容易に見出すことができない。そこには、祈り申す対象を「伊勢の五十鈴の川上に坐す天照大神、また天神地祇の諸神」としている。大嘗祭の祭神を明確に記載した史料は乏しく、本書の貴重性が窺われる。

本書で「秘事」とされたことは、神饌供進の作法と、天皇の申す詞であった。そこにはとりわけ隠さなくてはならない秘儀などはない。神事において最も重要な核心部分を大事にし、人目につかないよう秘してきたのであった。

〈参考〉

・岡田莊司『大嘗祭と古代の祭祀』(吉川弘文館、平成31年3月)

・大野健雄校注『神道大系』朝儀祭祀編五 践祚大嘗祭(神道大系編纂会、昭和60年10月) 1

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